武蔵小杉エリアの歴史探索

中原街道・二ヶ領用水
徳川家康の鷹狩りの道中、陣屋に泊って休息した中原街道は、今も当時を偲ぶ見所の多い歴史散策コースです。又、多摩川から水を引き、豊かな作物を生んだ二ヶ領用水は、かっては泳いだり、小舟に乗って釣りをし、うなぎもとれたそうです。今は桜並木の美しいお散歩道です。たまにはのんびり、歩いてみませんか!

中原街道という名前は、平塚の中原に向かう道だったことに由来しています。 平塚のお酢が江戸城に運ばれたのでお酢街道とも呼ばれました。

小杉御殿とカギの道
第2代将軍秀忠は、平塚にあった中原御殿と同じように、慶長13(1608)年、小杉御殿を建て、家康、秀忠、家光3代の将軍の鷹狩りと宿泊休憩所として利用されました。東海道が整備されると、1660年ごろには移築され、無くなりました。小杉御殿の敷地は1万2千坪に及び、表御門前のカギの道で防御の配慮をしました。

*カギの道は西明寺前の道がクランク状になった部分で、小杉御殿があったころに敵の侵入を許さぬように曲がりくねった道にした名残がカギ状になったものです。

安藤家は名主の代表格で割元名主でした。この家の長屋門は代官屋敷の裏門を移して建てたと言い伝えられ、門の内側には政府の出した高札が置かれています。

石橋醤油店(明治3年から昭和23年まで)
キッコウ文山の商標で醤油の醸造をしていました。屋敷内には昔の醸造工場の道具が残っています。その敷地の道路際に、八百八橋の石橋があり、碑が建っています。

小杉十字路は、明治時代から「ロンドン、パリ」と呼ぶほどの繁華街で、大正2年~7年は、乗合馬車の停車場がありました。この付近は料理屋、旅館、劇場、人力車屋、床屋、医院、郵便局などがで活気を呈しました。

油屋の庚申(夷申)塔
カギの道を西に進んだところの油屋の屋号を持つ小林家の角に「庚申様」が祀られています。体内の虫が2カ月毎の庚申の日に人間の悪事を天帝に報告に行くのを防ぐため、その日は寝ないで夜通しお祭りをしました。

西明寺
北条時頼の産湯といわれる池があります。時頼の母が出産の時に夢を見たという出世弁財天が祀られていました。緑が多い、静かな美しいお寺です。

二ヶ領用水
川崎領と稲毛領にまたがる32kmの人口用水です。小泉次大夫が家康から治水と新田開発の命を受けて14年をかけ、1611年に開削しました。カルガモ、ザリガニ、アメンボや大きな鯉も遊びます。また、桃の花や住吉桜、河津桜の美しい散歩道です。

武蔵小杉駅周辺の地域コミュニティの形成や安全・安心のまちづくりをめざして 略称:NPOエリマネ